2019年09月22日

きょう、しゅくだいわすれちゃいました。

D71A6692-165B-4B7F-9D34-F128F29D2508.jpg帰りの会が始まった。
みんなは帰る方向別に並んでいる。

いつもやんちゃな2年生男子Nが困った顔で近づいてくる。
「学校に宿題忘れてきちゃった」

うちの学童では、忘れ物は職員と一緒に学校に取りに行くことになっている。
しかも、取りに行けるのは帰りの会の前まで。
それ以上遅くなると、学校の昇降口が閉まってしまうため、それ以降は保護者と一緒に学校の職員玄関から入ることになっている。

窓から学校を見ると、昇降口は閉まっている。
職員玄関から一緒に行けないこともないが、学童のルールとしてみんな同じ決まりを守ってもらうことにしている。

「N,残念だけどタイムリミットだよ。後でお父さんお迎えに来た時一緒に取りに行ってもらいなよ」というと「えー!!なんでだよ!」と顔を真っ赤にして怒っている。
そして、みるみる顔がくしゃくしゃになって「しゅ…しゅくだいやらないと…ひくっ…お、おごられぢゃうんだよお」と泣き出した。

N、泣いてもここは通らないんだな。
今日の2年生は宿題がたくさんあった。計算プリントと作文。
帰ってくるとすぐに取り掛かる子がたくさんいた。Nもそれは見ていたのだ。

宿題は学童でやっても、家でやってもどちらでもいい。
帰ってくると「宿題は!?」と鬼の形相で声掛けをする学童もあるけれど、うちの学童は強制的にやらせることはしない。
放課後の暮らしは、子どもたちが自分で選びとればいい。
家に帰ってゆっくりしたい子は宿題を学童で頑張ってしまえばいいし、友達がそばにいる時間は遊びたい、と思えばそうすればいい。

Nはというと、この日これ以上ないというくらい遊びまくっていた。
ドッジボールをして、池に棒を突っ込んで遊んで、手を洗うついでに水遊びして、室内ではレゴと戦いごっこ。
遊びに遊んで、はっと気づいたときには帰りの会の時間になっていたというわけ。

Nの顔は涙でぐしゃぐしゃ。
もう床にひっくり返って足をバタバタさせ、「うわああああん!とりに行かせろよー!」とまるで赤ちゃんだ。
Nのお父さんは穏やかだが物言いがはっきりしていて、きっちりと筋を通すかただ。やんちゃでわんぱくなNにとっては怖い存在なのである。

ここで、「じゃあここは特別に取りに行くか」というのはとても簡単。
実際に少し前にそれをやった職員がいたらしい。
というのも、Nが泣きながら「だって〇ちゃん(職員)は前に取りに行ってくれたのに!」と訴えてきたからだ。

「そうか。ではそれは「特別に」取りに行かせてもらったんだね。特別っていうのはいつもいつもあるわけではないんだよ。今回はみんなが宿題やってるのを見ていたよね。でもNは遊ぶことを選んだんだよ。それはちっとも悪いことじゃないけど、いろいろ考えて先に宿題を終わらせようと頑張ってた子もいることを考えると、この時間に特別に取りに行くことを許すのは違うかな」と言ってきかせる。

ここまで大泣きしているNに、あえて救いの手を差し伸べないのはとても苦しい。
でも、また「特別」を作ってしまったら、きっともっと「特別」が欲しくなる。
今度から気を付けよう、たくさんの宿題をいつやるか自分の頭でよく考えよう、という心を消してしまう最短ルートを作ってしまう。
心を鬼にして、目は離さず、温かく無視をする。
「なんでだよー!取りに行きたいよー!」と泣き叫んでいたが、「そうかそうか」とさらっと流し続ける。
たっぷり15分泣いた後、だんだんしゃくりあげる声が小さくなっていき、Nが立ち上がった。

「泣き止めたね」とNを見て小さく言うと、「紙ちょうだい」とぼそっとつぶやく。
「何に使う紙?」と聞くと、「作文を書くこんくらいの大きさの」と手でB4くらいの大きさを示す。
「ほんとは茶色い線が入っているんだけど、なくてもいい」と言っている。
別の職員がさっと私に耳打ちして「PCで原稿用紙だしてあげちゃいます?」と聞いてくる。
「いや、ここはNの一人で立ち上がる姿を信じてみよっか」と言って、Nに言われた通りの紙を差し出す。

「あとね、算数のプリントはなんじゅう+なんじゅう=ひゃくなんじゅうなん、みたいになってるやつだった」と思い出しながらNが言う。
「ほうほう。二桁+二桁が三桁になるやつね」
「そう。あ、いいこと考えた。おれドリルもってる」
と言って、ランドセルからよれよれのドリルを出す。
乱暴にページをめくってあるページを眺め、
「ねえ、これって答えがひゃくくなんじゅうなんになる?」と聞いて差し出してくる。
受け取って暗算すると、確かに答えは三桁になる。
「なるね」というと、「じゃあこれにする」とつぶやくN。
「これをうつして解いていったら、算プリやったのとおなじことになるからやる。紙もう一枚ちょうだい」と言う。

ここまでの成り行きをじっと見ていた3年生の男の子Tが「貸してみろよ、おれが問題書いてやるよ」と手を出してくれる。
「え。でも」と戸惑って私の顔を見るN。
「優しいなあ!お言葉に甘えちゃいなさい!」と片目をつぶってみせると「Tくんありがと」と言ってドリルと紙をTに渡す。

せっせと問題を写してくれるTの横で作文に取り掛かるN。
私が近くに行くと「作文の書くこと思いついた。宿題わすれたこと書く」と晴れやかな顔をしてNが言う。
「ああ。それは最高にいいね。いっぱい心が動いたからそれをぜーんぶ書くとすごく素敵な作文ができるね」というと大きくうなづく。
そして、それはそれは強い筆圧で「きょう、しゅくだいわすれちゃいました。いっぱいなきました」で始まる作文をぐいぐい書いていた。
たくましく、いじらしいその姿になんだか胸がいっぱいになり、Nの頭をぐりぐりなでながら、「最初はとっても困ってたけど、自分の力で立ち上がったねえ。えらかったなあ」と言った。

Nなりの「宿題」が半分くらい進んだころ、お父さんがお迎えに来た。
Nより先に迎えに出て、ここまでの成り行きをざっと話した。
「確かに宿題は学校に忘れてきちゃいましたが、泣いて終わるんじゃなくて、ちゃんと自分で考えて建て直せたんです。本当に偉かった。生きる力満点です。そのことはぜひたくさんほめてあげてくださいね」というと、お父さんは嬉しそうに笑って「そうでしたか。わかりました」と言ってくれた。

少し前のNだったら、へそを曲げて、周りに当たり散らして、悪態ついて何か投げていただろう。
見事な逆転満塁ホームランを見せてくれたN。君の生きる力はサイコーです。
周りでハラハラしながら成り行きを見守っていた子たちにもすごいものを見せてくれました。
大きくなったね。
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2019年09月16日

みんな1番目だった

ある日のこと。
からだが小さくて、甘え上手な1年生のSちゃんが「だっこ」と言ってきた。
友達ともめて、なんとか気まずい仲直りをして、精神的にとてもしんどかった時間の後だった。

うちの学童には、というか一応自治体には「だっこはしない」という決まりがある。

「だっこはしない」
なんというざっくりしたきまりだろう、と思う。
職員の労務災害を防ぐため、というのがまずある。腰をやられやすい仕事だからだ。
しかし、相手は7歳から9歳までの子どもたち。
私はうちの職員たちにいつも言っている。
「だっこはしない、が基本だけれども、どうしても必要な瞬間はある。そこを考えて見極めるのが仕事だからね」と。
自分の体力と相談もして、とも言っている。

さて。
Sちゃんには必要な瞬間だった。
小さくて軽いSちゃんをひょい、と抱き上げて「よく仲直りできたね。うん、えらかった」と抱きしめる。

トンとおろすとそばでじっと私をみつめるAちゃん。
恥ずかしそうに、何か言いたそうに私を見ている。
「する?」と目で聞いて手を伸ばすとおずおずとやってくる。
手を伸ばして抱きあげてみるものの、Aちゃんの足は棒のようにおろしたまま。
私の体に足を絡みつかせることをしない。

すると、じわじわと子どもたちが集まってくる。
「だっこして」と言わないけれど、なんとなくみんなが順番待ちをしている。
「わたし、重いからな」と言いながらそばに寄って来て私の顔を見る3年生も。
「なんのなんの。このくらい軽いもんよ」と言ってだっこ。決して軽くはないけれどどうってことない。
10人くらいの子たちがかわるがわる私に抱き上げられる。
ちょっと嬉しそうに、恥ずかしそうにみんな足を絡みつかせず、不器用にだっこされる。
男の子も女の子も。
そして、にこにこと満たされた顔をしてまた遊びに戻っていった。

その後姿を見て、気が付く。

驚くほど、みんながみんな、第1子だった。
お家でお兄ちゃん、お姉ちゃんの子どもたち。
きっと今は、お母さんのおひざは弟妹たちのものなのだろう。
不器用なだっこは久しぶりだったせいかな。

「だっこはしない」の決まりはある。
でも必要な瞬間にしっかり抱きしめてやることもも同じくらい大切なのだ。

お兄ちゃん、お姉ちゃんたち。
まただっこされにおいでね。


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Rの2学期

Rが学童にまた登所してきた。
お弁当にサンドイッチを持ってきて、恥ずかしそうに食べていたR。

結局、夏休みの間、Rは一度も学童に来なかった。
お母さんはお弁当を持たせることが億劫だったのだろうか。
Rが来るか来ないかはっきりしない日は、私は毎日サンドイッチを食べていた。

長い夏休みが明けて、2学期が始まり、Rが「ただいま」と小さな声で言いながら登所してきた。
1ヶ月のぶりの学童に落ち着かない様子でそわそわしている。
私は思わず「R!」と呼んで駆け寄る。
「ただいま」と私の顔を見上げてRが言う。
会いたかったよ、といってぎゅっと抱きしめるとなんだか喉の奥がきゅっとなる。
私の胸のあたりで私を見上げて笑うR。
元気でよかった。本当に会いたかった。

そのあと、学童はみんなを集めて隣の部屋でおやつの時間。
Rはなかなか行こうとしない。

「おやつだよ」といっても「うん」と言って私の手を弄んでいる。
しばらくしたいようにさせておき、たっぷり時間をとってから「行けそう?」というと、そっと首を振る。
これだけ休んでいたのだ、夏中学童でたっぷり過ごしていて流れにばっちり乗っているメンバーとの温度差を、嫌というほど突きつけられる。
隣の部屋に行って、椅子を出して、おやつをもらって、班のみんなと一緒におしゃべりしながらおやつを食べる。
そんな学童の「あたりまえ」がRにはとても難しかった。

様子を見ながらRの手を取って、一緒に隣の部屋に行く。
カウンターに並んでいるおやつを「おいしそうだねえ。何味にする?」と言いながら一緒にお皿に取る。
椅子を出すのも、手を洗うのも、ずっと隣にいる。
班について座っても隣にぴったりくっついて手を握りながら。
班の子たちと何でもないような楽しい話をして、Rの顔がちょっとほころんだところで、隣の班に移動してみる。
離れる瞬間強く握りなおすRの手を優しくほどいて、隣に行き、そしてすぐRの班に戻る。
今度は二つ隣の班に。
またRのところへ。
離れても必ず戻ってくるよ、と繰り返し伝えておやつの時間を終える。

遊びの時間。
Rは私に飛びついてきてきゅっと手を握っている。
外に出て、どこに行くにもRを連れていく。

「ねえ、髪の毛編み込みにして」と言ってくるR。
タイヤ飛びの遊具に座らせてゆっくり髪を編み込んでやる。
「いい髪だね、細くて柔らかくて」というと「そう?」とR。
「Rがいなくてさみしかったよ。学童に帰って来て嬉しい」というとふふふ、と笑う。

その日も、その次の日も、充電するように、ずっとずっと一緒にいると、Rは友達のところに行くようになった。
ある日、私のところに寄らずに、友達のところに駆け出す後ろ姿。
うんうん、よかった。
また学童での居場所をみつけたね。
どの子にも安心できる居場所でありますように。2019-08-10_14-47-09_163 (2019-08-18T03_45_01.057).jpeg
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2019年09月03日

土を耕すように関わる

AN9SHlsQSpCGFYP0q1BoZA.jpg先日、ある行事を作り上げるときの進め方について、少し考えることがあって立ちどまった。

子どもがアイデアをたくさん出してお祭りを行った。
自分たちで考えて、自分たちで作り上げる、本当の手作りのお祭り。

どんなコーナーをやるか話し合った末、アイデアの一つにゲームセンターにあるゲームを再現したお店がやりたいという意見が挙がった。

そこを担当した一人の職員。
手先が器用でとても一生懸命な人である。

その職員は、驚くべき装置をネットで調べ、まるで本物のように動くマシンを段ボールで作ることにした。
担当の子どもたちに仕組みを説明してはみるが、全く難しくて、理解できる子は2~3人。
プライドの高い3年生はわかってはいないけれど、1年生たちの手前「わからない」と言えずに黙っている。


その職員の手ほどきで子どもたちはマシンを作っていく。
繊細で壊れやすいそれは、製作中何度も壊れる。
そのたびに仕組みを理解している3年生がせっせと直す。
作り方も直し方もわからない1,2年生は蚊帳の外。
1年生はマシンに手を出すことも許されず、2年生は作ってみてもすぐ壊れるそれにいらいらして自ら壊してしまう、なんてこともあった。
退屈な1,2年生は準備を抜け出したり、ふざけて3年生の作ったものをいじってまた壊してしまったり。
行事が迫り、準備も大詰めになったとき、退屈している1,2、年生にその職員は
「お願いだから3年生と最後までやらせて。あなたたちはおとなしくしていて」とつい言ってしまった。

行事当日。
マシンは当日も壊れたりしながらもなんとか最後までこぎつけた。
素晴らしいマシンを作った職員は保護者の驚きと賛辞を受けて、誇らしそうだった。

「壊れてもおれがいつでも直してやるからって3年生のIが言うんです」
「各マシンに一人ずつ、まるでエンジニアみたいにつく3年生の子たちがいて」
終わってからも満足げに話す職員。

よかった、と思う一方で、私はもやもやしたものが残る。

確かにその職員はとても頑張った。
マシンも素晴らしいものができた。
でもこのもやもやはなんだろう。

別の職員と話していてやっとその正体がわかった。

これは「形だけの子どもの参画」だったからだ。
ゲームセンターにあるゲームを再現することは子どもの思いでもあった。
ただ、それは技術的にも材料や予算的にも現実的ではない。
ならば「どうすればゲームセンターにあるあのゲームのように楽しいものができるか」を子どもと一緒に考え、どうしたいか、何ならできるかを考える工程が必要だった。
それをまるまる飛ばしているのである。

大人が考えた組み立て説明書を読んで、言われるがままに組み立てただけなのだ。
自分たちで考えた絵をそこに描こうとも本質的なものは変わらない。
技術についてこられない1,2、年生をすっかり置いてきぼりにして、子どもの参画をやった気になっていた。

表面的には楽しかったかもしれない。
でもそこに育ちがあったか。
このまつりを通じて、どんな成功体験と失敗と新しい自分の発見があったのか。
見た目がかっこいいものを作ることが目的ではない。
どんなに拙くとも、簡易であろうとも、子どものアイデアを取り入れたものにはそれにしかない輝きがある。
誰のために作ったのか?誰を満足させたかったのか?

一番問題なのは、お膳立てした環境の中で思うように動いた一部の子どもを褒めたたえ、わからない、できない、やりたくなくなった、という子どもたちから目をそらしたことだった。

近所のおまつりのお手伝いならそれでもいい。
でもここは学童クラブ。私たちは素人ではない。
この大きなイベントで子どもたちはぐんと成長できる貴重な場なのだ。

自分の頭で考え、自分に何ができるかを探り、工夫を凝らし、実際に手を動かして、失敗もして、成功した喜びも知る。
立派に根っこを張れるように、子どもたちの自我の土壌を深く柔らかく耕してやらねばならないのだ。
低学年とはそういう時期。
一緒に耕して、いろんな作物を実らせる準備をしてやる。
高学年になったら、そこにどんな種を植えようか、どんなふうに育てようかを考えるサポートをする。

今回の出来事はほとんど耕していない土に買ってきた花をさっと植えただけなのだと思う。

泥臭い仕事である。
それでも丁寧に丁寧に耕してやると、きっといつか、豊かに実った姿を見せてくれる。
それはとても時間のかかること。
すぐに答えなんか出ないのだから、のんびりゆっくり耕しながら、日照りも雨も一緒に乗り越えていくのかもしれない。
失敗したって間違えたっていいんだよ。
いつもいつも、子どもにそう言いながら進んでいきたい。
担当の職員にも話してみようと思う。



posted by Nuts-camp at 15:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月26日

素直になれたらいいのにね

Uは三年生の男の子。
ひょうきんもので、お調子者。どこか憎めなくて笑顔がとても可愛い。
でも自己肯定感が低く、一度おへそが曲がるとなかなか素直になれない。

今日はなんだかUが落ち着かなかった。
雨が降ったりやんだりで外に出ることができず、発散できなかったせいかもしれない。

延長育成になった。
だんだん子どもが減ってくると、遊び相手を選びづらくなってくる。
いつもの仲良しの友達ではなく「今いるメンバー」で遊ばなくてはならないので、大げさに言うとコミュニケーション能力が求められる。
Uはそれがあまり好きではない。思い通りにならないことが嫌いなのだ。
あまのじゃくなところもある。
「やることない」「つまんない」を連発し、ビー玉を思いきり転がしたり、お手玉を蛍光灯に向かって投げて叱られている。
延長育成の他の子どもたちは「今いるメンバー」で遊ぶことに慣れている。
だからUをちらりと見てはいても、仲間に入れて「つまんない」とでも言われるのが面倒くさいのだろう、誘ってくれる子もいない。

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トランプで大富豪をやることになった。
カードを配っている横で、Uは大きな声で「大富豪なんてつまんない。おれはやんない」とやはり言っている。
「そんな言い方…」と言おうとする職員。空気も悪くなっている。

前にそのカードを使った子どもたちが、ふたつのトランプを混ぜてしまったのか、なぜかジョーカーが4枚、2が8枚も入っている。
おかしいねと言い、多すぎるジョーカーと2を横にはじいた。
するとUが近づいてくる。
「あ!これ使ったら絶対勝てるじゃん!」と満面の笑み。
参加していた職員が間髪入れずに「Uはやらないって言ったじゃない。それ使ったらずるだよ」とぴりっと言う。
Uの言い方は時に大人も挑発するような感じになるので、このとき、この職員は少し感情的になっていたのかもしれない。


うーん。チャンスだったのに。

通りすがりのふりをして、様子をうかがっていると、一度離れたUがまた戻って来て
「この余ってるカードもらっちゃおうかなあ」と言っている。
「だからそれはずるだっていってるじゃない!」と言う職員にかぶせるようにして

「お、それはおもしろい。やりなやりな。逆にこのカードで負けたら大笑いだよね」と言ってみる。

え?という顔をして私を見る。
「いいじゃん、やりなよー。みんな、Uが負けたら笑ってあげようね~。さあ、U、負けらんないぞー」
ともう一度言うと、「じゃあやってやるよー、しょうがねえなあ」
円座の中に仲間入りする。

よしよし。

たくさんのジョーカーと2をもって気が大きくなったのか、
「もう少しカードもらってやってもいいよ」という。
そう?と規定枚数くらいぱぱぱっと渡す。
強いカードが多いものの、やっとこれでスタートラインに立てた。

私も1年生のアシスタントとして参加してみた。
するとまあ、Uの傍若無人なこと。
自分ルールを作り、他の子が勝てないように巧妙に誘う。
わけのわかっていない1年生の女の子に20枚近く持たせて(!)始めようとしたり、2のあとに8を出して「8切りだから8はいつでも出せるんだ」とか言ってみたり。
当然他の子どもたちは「ずるいよ!」「そんなルールおかしい」と騒ぐ。
でもUにはどこ吹く風。しれっとやりたいことを押し通したりする。

もう一人の職員が「U,そういうことをするからどんどんゲームがつまらなくなる。だいたいあなたはねえ」とお説教が始まりそうだったので。Uがインチキして出したカードをその場でどんどん返し「ダメなものはダメ。ハイ次」とさくさく進めた。
1年生にどっさり持たせたカードもパッともらい、「いっちねんだっから~大目に見てね~♪」と歌いながらみんなに再配分してしまった。
もたもた言い訳してインチキしていると、本当に追いつかないくらいさくさく進め、「おー!きたー!ここで13出しちゃう?さあだれか出すかい?」とおどけて明るい雰囲気でぐいぐい引っ張った。

すると、一人ごねて流れを止めることにあきたのか、Uも流れに乗り始めた。
そしてなんと、あんなに強いカードを持っていたのにも関わらず、1位になれなかったのだ。
「どうしちゃったのよー!」とみんなで大笑いし、つられてUも笑う。
「おかしいなあ、もう一回やってみようよ、次は誰が最強カード持つ?」というと、他の3年生が「はい!あたし!」と。
いつの間にかUはすっかり大富豪の一員として、ゲームを楽しんでいた。

もう。
あまのじゃくなんだから。
そしてかまってちゃんなんだから。
一人だけちょっとだけ特別扱いして、さらっと軌道に乗せてやればあとは何とかなる。
本人もうまい関わり方が苦手なだけ。
ちょっとめんどくさいことを言ってみたいのだ。
ダメなことなんて100も承知なのだ。

だからそれを上回るエネルギーで楽しい雰囲気を作っていく。
そしてすっかりUを飲み込んでしまう。
気持ちよく飲みこまれて、やっとUは安心して素直になれるのだ。
人一倍手がかかるU。
でも私が抜けた後も、満面の笑みでトランプしているUを見て、これが見たかったんだな、と私もうきうきしてしまうのだった。
posted by Nuts-camp at 23:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月18日

力ではなく優しさで

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土曜日は子どもの出席人数はぐっと少ない。
いつもは数十人の子どもでひしめく学童も、土曜日は多くても7~8人。

昨日は4人の出席だった。
からだの小さな一年生の男の子Uと、いつものんびりしていて、みんなから一歩二歩で遅れてしまうことばかりのM。
Mはマンツーマンの支援が必要な子だ。
この二人も来ていた。

Uはふだんはとてもおとなしい。
小柄なうえに理解もゆっくりなため、人前に出て何かをしたり、派手ないたずらをしたりすることもない。
穏やかで優しい子だが、いつも何か言いたそうだ。
「あのね」と言いかけたところに元気な子が「あのさあ!」とやってくるとふっと口をつぐんでしまう。
困ったように笑いながらすっといなくなる。
日々の忙しさに追われ、主張が少ないUの声を拾うことができないまま日々が過ぎていく。

さて、土曜日。
Uは朝からご機嫌だ。
饒舌で、昨日あった楽しかったことをよく話してくれる。
二人対戦型のボードゲームをやろうと何度も私に持ち掛けてくる。

こつこつ頑張るUはこのゲームを一人でやりながら何度も練習して驚くくらいうまくなった。
私もかなり強いので、子どもたちはいつも「挑戦する」といった形で私に挑んでくるがあまり負けることがない。
しかし、子どもの柔らか頭にときどき完敗することもあり、Uは先週一年生で初めて私を負かした。
Uはそれがとても自信になったようで、時間のあるこの日、嬉しそうに勝負を挑んできた。

そういえば、こんなことがあった。
私がUに負けた日、「負けてあげたんですか?」とUの前で大きな声で聞いてきた職員がいた。
とんでもない。
私はいつも真剣勝負。
手抜きをしたことなど一度もない。
それはいつも子どもたちにも言っていることで「私はいつも真剣だからね」と言ってから始める。
「負けてあげる」なんていう発想がなかったので、とても驚くと同時に、そういうことを対戦相手の子どもがいる前でさらっといえる感性がとても残念だった。
子ども見くびりとはまさにこれなのだろう。
私はその職員のかわりにUに謝り、そんなことをやろうとしたことも考えたこともないと伝え、「参りました!」と大きな声で言った。
Uは嬉しそうに、何度も何度もその話をしていた。いつもは話しかけない子にまで「あのね、ぼく勝ったんだよ」と。
その職員はその姿をどう見ていたかな。伝わっているといいのだけれど。

その土曜日も何度かそのゲームをUとやり楽しく過ごしていた。

機嫌がよかったUは気持ちも大きくなり、ほかの遊びの中で、いろいろなルールが理解できないMを下に見始めていた。
けん玉ができないMに「えー。できないんだ」といい、ブロックを分けてくれないMに「そういうことしないでよ!」と語気を荒げる。
トランプのルールがいつまでも覚えられず、出す順番を間違えてしまうMに「何回も言ってんのにまた間違えた」と苦々しくつぶやく。
行動がゆっくりなMに「はやくしてよ!」と大きな声を出す。

普段Uが言われていることばかり。
いつもはUも必死で過ごしているので、Mのことは目に入らないのだろう。
でも人数が少ない土曜日はMが目に入り、自分より下だ、と思ってしまったのかもしれない。
言い返すことのできないMに対して、Uの行動はエスカレートする。
鼻でふっと笑うように小ばかにし、私に同意を求めてくる。

こんなとき、自己肯定感の低いUにこれらの行動を指摘はしない。反応もしない。
そのつらさをたくさん味わっているUだから、「だめでしょう」といったところでUの中にくすぶるものが残るだけだ。
Uの前をMのしたことをたくさんほめ、Uに同意を求める。
それと同じくらいUのいいところを改めて口にする。
「いつも片付けが丁寧だよね。うん、本当に助かる」
「また、そんな優しいこと言ってくれるんだね。いつもありがとう。嬉しいなあ」など。

普段はわーっと一日が過ぎていく中で、そんな会話もゆっくりできないけど、土曜日ならできる。
細かいやりとりに注目せず、全体の雰囲気を優しく優しく作っていく。
ふだんより「ありがとう」の数を増やしていく。
Mのいいところを伝えていくことで、Mもまた尊敬すべき存在なんだよ、ということをUに柔らかく伝えていく。
同意にUの心のケアもしていく。

もともとが優しい子なので、水がしみこむように伝わっていくのがわかる。
語気が和らいで、Mに「こんなの作れるの!すごいじゃん」と笑顔を向けるようになってくる。
普段Uが辛い思いをしているときにもこうやって途切れることなく、ケアしていってあげられるといいのだけれど、なかなか難しい。
でもUみたいな子だからこそ、されたことを自分より弱きものに返すのではなく、嫌だったことはしない、と連鎖を切っていってほしいなと願う。
U,あなたの優しさがいつかきっと何にも負けない強いものとなって、きっとあなたを助けていくよ。
それまでどうか、その優しさがみんなに伝わるように手助けさせてね。


posted by Nuts-camp at 13:11| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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